僕らもカープ

現在海外在住のカープファンが、現地観戦できない分の思いも込めて、カープを応援し続けるブログです。20数年来、カープを応援してきた視点から今年のカープの軌跡を自分なりに追いかけていくブログです。

カープ育成路線の象徴 カープアカデミー その歴史と主な出身選手は? バティスタ・メヒアも 【閑話休題】

今シーズンも1軍、2軍一体となって、快調なシーズンを送っているカープ。

今日、バティスタ選手に続いて、2軍で結果を残していたメヒア選手も支配下登録を勝ち取りました。

そんな2人を輩出したカープの育成路線の代表的な施設であるドミニカのカープアカデミーを特集した記事があったので今回紹介したいと思います。

 

今回、元となった記事がこちら。

【野球】バティスタ出現は広島の心意気/オピニオンD/オピニオンD/デイリースポーツ online

 

カープアカデミーはメジャーリーグの取り組みを参考にしたカープが、野球の盛んなドミニカ共和国において、プロ野球で通用する若手有望選手の育成を目的として日本球界で初めて設立した施設です。

お金をかけて完成した選手を補強するのではなく、外国人選手も発掘・育成するカープの育成路線の象徴的施設と言えそうです。

 

カープアカデミーは1988年に敷地を取得し、1990年末に開校、以来25年以上に渡って運営されています。

記事では立ち上げ時の、球場のフェンスや電線を設置した直後に切り取られるなど、途上国ならでは苦労話にも触れています。

 

アカデミーの維持費は年間約1億円、メジャーの競合施設が増えてそちらに有望選手が流れ、戦力となる選手を輩出できなくなった時期にはその存続意義すら問われました。

設立直後は1995年に15勝を挙げてオールスターにも出場したチェコ投手やメジャーで40本40盗塁を達成、2000本安打も放ったソリアーノ選手ら有望な選手を輩出しますが、1990年後半あたりから1軍で活躍できるような選手を輩出できなくなっていきます。

 

   

その背景としては 1) 設立当時はMLB傘下のドミニカン・サマーリーグにチームとして所属し結果を残しますが、リーグから巨額の参加費を要求されるようになり1990年代中盤よりリーグを離脱したこと 2)メジャーリーグのチームのドミニカ進出が続き、金銭面で劣ったこと が挙げられます。

 

つまりは有力選手の入り口としての施設から、メジャーのチームで結果を残せなかった選手がセカンドチャンスを求めてやってくる、そんな受け皿としての施設に役割が変わってしまったということです。

 

有力選手を輩出できなくなってしまったことに加えて、交流戦の導入でジャイアンツ戦を中心とした放映権の収入減が予想される中で、カープは運営費の削減を決断。

野手はあきらめ、投手の育成に専念する決断をしますが、アカデミー契約選手はその後も減り続けて2012年にはわずか4人にまで減少。

自分たちだけでは実戦練習もままならない状況となり、廃止寸前の状況にまで陥ります。

 

そんな中で視察した松田オーナーの決断で野手育成を復活させて再起を図ることが決まると施設の再整備とスカウトの増員が決まり持ち直して、今日に至っているようです。

 

   

最近の野手で記憶に新しいところでは2014年にサイクルヒットを達成した「おさむ」ことロサリオ選手でしょうか。

調べてみるまで知りませんでしたが、ここまで書いてきたような背景もあり、アカデミー出身の野手では何と10年ぶりの契約だったようです。

 

また今シーズン支配下登録されて1軍でも結果を残しているバティスタ選手、そのバティスタ選手とともに来日し、今日バティスタ選手に続いて支配下登録されたメヒア選手へと続いており、アカデミーの昨日も復活しつつあるようですね。

投手では結局一度も一軍で投げることなく2015年で退団したデヘスス投手が最後になりますので、近いうちにまた新星のニュースを聞けることを楽しみにしたいですね。

 

また記事では触れられていませんが、外国人選手の育成には契約問題の壁も存在します。

契約問題が原因で退団した、日本もしくはメジャーで実績のある選手にはチェコ投手、ソリアーノ選手、ラモン・ラミレス投手等がいますがその退団経緯は以下の通りです。

 

ロビンソン・チェコ投手 

正式に契約した1年目の1995年(1993年には練習生としてカープに在籍)に15勝を挙げる大活躍もオフに契約問題がこじれて訴訟にまで発展。翌年限りで退団。

ちなみに支配下選手の背番号にまだ制約がなかった頃のため、106と3桁の背番号で活躍していたことも話題になりました。

 

アルフォンソ・ソリアーノ選手

来日1年目の1996年に2軍で経験を積んで翌1997年に1軍デビュー、9試合に出場して翌年の飛躍を期待されましたが、球団提示額と代理人の提示額に大きな差があり年俸調停に。

調停結果に納得せず、任意引退の形で退団後メジャーでプレー。

その後の6度のシーズン30本塁打や2000本安打、シーズン40本40盗塁の達成などメジャーでの大活躍は周知のとおりです。

 

ラモン・ラミレス投手

2002年にテスト入団し、その年1軍で2試合に登板。

150 km/hを超えるストレートと高速スライダーを評価されるも、その年オフの年俸交渉でもめてポスティングシステムでのメジャー移籍で退団。

2006年からメジャーに昇格すると中継ぎ投手として5年連続60試合以上に登板するなど実績を残しました。

 

 

   

その一方でティモ・ペレス選手のように自由契約となって退団後にメジャーで活躍した選手もいます。

1990年代後半に二刀流で活躍したペルドモ選手なんかも記憶に残っていますね。

 

当時は外国人投手の一軍登録が2名までに制限されていましたが、内野手登録のぺルドモ選手が他の2名と同じ試合に登板し、ルール上問題はなかったものの物議を醸したこともありました。

打者としては2割そこそこ、投手としても中継ぎ中心で防御率は4点台だったので大谷選手とは比べられる成績ではありませんが、やはり希少な二刀流選手と言うことで記憶に残っていますね。

 

あとは意外なところでは2007年にタイガースに在籍したジャン投手もカープアカデミー出身だったようです。

カープにきたことはなくメジャーリーグを経てのタイガース加入だったので調べてみて初めて知りましたが。

 

さて、話は逸れましたが、契約問題の話でした。

球団もこういった過去の経緯を踏まえてバティスタ選手・メヒア選手と異例の6年契約を結んだのだと思いますが、4年契約の2年目で退団したロサリオ選手の例もありますので全く安心はできません。

 

バティスタ選手・メヒア選手がこのままモチベーションを保って順調に成長を続けて契約を満了するような活躍を見せてくれることを期待したいですね。

 

外国人選手も「育てて、うまくした方が応援してもらえる」という育成型球団としての姿勢の代表例として語り継がれるような存在になってもらえれば最高です。

 

この記事もいろいろな方に支えられて、いろいろな苦労の末にカープは今シーズンも優勝に向けて一試合一試合戦えていることが分かる記事でしたので、今回紹介させてもらいました。

 

明日からもチーム一丸で頑張ろう、カープ!

  

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